概要
かつて蛇行していた石神井川に囲まれた天然の要害であった、現金剛寺(紅葉寺)を中心とする、かつての台地突端部に位置していた城。豊島氏の庶流、滝野川氏が入り地域を治めた。なお、この付近「松橋」には、源頼朝が挙兵し鎌倉を目指す途上にて布陣し、河畔の弁財天に勝利を祈ったという伝承が残る。
(登城日:2022/10/10)
Ⅰ 所在地等
東京都北区滝野川三丁目 金剛寺周辺
Ⅱ 種別・利用法
舌状台地の先端を利用した平城、居城として利用
Ⅲ 築城時期
不明、鎌倉時代か
Ⅳ 築城者
豊島氏庶流、滝野川氏
Ⅴ 主要な事象
特になし。滝野川氏は文明9年(1477)、豊島氏滅亡と命運を共にしたと思われる。源頼朝が鎌倉進攻の前に布陣した地としての方が有名か。
Ⅶ 公共交通機関アクセス
王子駅(JR、地下鉄、都電)から1kmほど。
現状では石神井川の改修により城の面影が全くないため、国土地理院HPから昭和48年当時の航空写真を並べて示す。石神井川の流路は大きく変わっているが、道路には現在にも引き継がれる特徴が残っているのがよくわかる。
1 来歴
豊島氏の庶流、滝野川氏が築いた城。現在の金剛寺周辺とされる。
滝野川氏は、豊島重信の子で宮城氏を興した重中の次男、宮城信久がこの地に入り、滝野川大夫五郎を名乗り滝野川城を築いたという。(参考 ※1)
豊島氏が太田道灌に敗れた際に命運を共にしたとされている。
永禄2年(1559)の「小田原衆所領役帳」によれば、滝之川(=滝野川)21貫500文は、太田新六郎康資の知行になっている。(参考※1)周辺の豊島氏領同様、扇谷上杉家の後に太田氏の勢力圏に入ったのではないか。
この周囲の地名「松橋」は、挙兵した源頼朝が、鎌倉攻略の前に布陣した地として知られる。河畔の洞窟に祀られていた、弘法大師作と伝えられる弁財天の像に、刀を捧げたという伝説が残っている。
この洞窟、「松橋弁財天」は江戸時代には観光名所となり、石神井川での川涼みも兼ねて繁盛し、大観光地・王子の観光資源の一つとなっていたようである。
2 構造
蛇行する石神井川に突き出る台地に築かれた城。
「日本城郭大系」によると「西・北・東側を石神井川が蛇行しており、地形的には優れた立地条件を持っている。なお、西側には空堀とみられる形跡がある」(参考 ※2)とのこと。前掲の、国土地理院HP掲載の航空写真を利用して検証してみる。
確かに、滝野川城跡とみられる金剛寺周辺は、蛇行する石神井川に三方を囲まれた好立地であったようだ。弱点である西~南には不自然な地形があり、これが堀跡ではないかと思料する。
3 状況
現在では蛇行していた石神井川は整備され、城跡としての面影はかなり薄くなっている。
解説板
滝野川城としての解説、城址碑等はなし。
源頼朝布陣地としての解説板が、寺門前に建っている。
源頼朝の布陣伝承地
滝野川3-88-17 金剛寺境内
治承四年(一一八〇)八月、源義朝の三男源頼朝は、配流先の伊豆国で兵を挙げました。初戦に勝利するも石橋山の合戦で破れて安房国に逃れ、そこから上総国・下総国の諸将を味方につけ、隅田川を渡ります。滝野川・板橋を経て府中六所明神に向かい、そこからさらに鎌倉を目指します。そして鎌倉の大倉に本拠を築いた頼朝や、後に鎌倉幕府初代将軍として、その場所に政権を樹立することになるのです。
この途次の十月、源頼朝は軍勢を率いて滝野川の松橋に陣をとったといわれています。松橋とは、当時の金剛寺の寺域を中心とする地名で、ここから見る石神井川の流域は、両岸に岩が切り立って、松や楓があり、深山幽谷の趣をもっていました。弁財天を信仰した頼朝は、崖下の洞窟の中に祀られていた弘法大師作と伝えられる弁財天に祈願して、金剛寺の寺域に弁天堂を建立し、田地を寄進したと伝えられます。
この地域は、弁天の滝や紅葉の名所として知られていました。現在、金剛寺が紅葉寺とも呼ばれているところに、この頃の名残がみられます。
平成元年三月 東京都北区教育委員会
周囲の状況
金剛寺周辺は、滝野川城という無名の小さな城の跡地としてよりもむしろ、源頼朝の布陣の地、そしてその逸話に基づく松橋弁財天があった土地として知られている。松橋弁財天は江戸時代には観光地化していたようだが、現在では、弘法大師が作り洞窟に安置したという弁財天像も、頼朝がそれに捧げたとされる刀も、その行方は不明である。
金剛寺の東方には、かつての蛇行した石神井川の面影を残す「音無さくら緑地」が整備されている。何気に見るとこれが石神井川の痕跡だとはあまり気づかないが、前述の地形図の比較を見れば一目瞭然だと思う。
個人的回想
国土地理院HPの「地図・空中写真閲覧サービス」をフル活用させていただきました。古い資料では書かれていた遺構が今では失われている、というのは多くの城メモラーたちが味わった苦しみだと思います。少しでも当時の、せめて戦後すぐくらいの情景を調べたいと思った時には優れたサービスだと思います。
参考文書
(※1)「北区の歴史」48頁(芦田正次郎ほか、名著出版、昭和54)
(※2)「日本城郭大系5 東京・埼玉」 261頁 (新人物往来社、昭和54)