くま城戦軍研 ―熊代城砦戦国軍事研究所

受付(ホーム) ・事務室
・城郭研究室 城メモ
・戦国研究室 地域情勢 人名名鑑
 ー基礎資料 農業 料理・加工食品
資料室

戸塚城

戸塚城立山公園の案内板(2023/2/4)

とづかじょう。
概要
 成田氏の被官である小宮山氏の城。
 台地の先端部に築かれた。歴史上、大きな事件などがあったわけではないが、遺構は奇跡的に近年まで残されていた。しかし埼玉高速鉄道(公式HP)の開通により、駅目の前の一等地となるというそれ以上の奇跡が発生したため、急速に住宅地化されその遺構は失われている。現在は建造物などに「城山」の表記が残るのみ。
 「僕は城が好きすぎて城跡に住んでます!」と言いたい城マニアにお薦め。
(登城日:2023/2/4 今後、大きく変わることはないでしょう。)

Ⅰ 所在地等
  埼玉県川口市戸塚南周辺
Ⅱ 種別・利用法
  舌状台地の先端を城として利用
Ⅲ 築城時期
  不明、戦国時代には所在
Ⅳ 築城者
  小宮山氏か
Ⅵ 遺構
  地表面には存在しない
Ⅶ 公共交通機関アクセス
  埼玉高速鉄道 戸塚安行駅近く

国土地理院HPを利用し作成。標高で色を付けている。無色部が台地上、城跡が分かりやすいと思う。

1 来歴
 成田氏に仕えた地方豪族、小宮山氏の居城跡。別名、龍賀城。
 小宮山氏は「関東幕注文」の岩付衆に名前がみえることから、太田資正に従って上杉謙信についたこともあるようだが、最終的には北条家に従う。戦国時代の小宮山弾正忠孝は成田氏に仕え二百貫文の軍役を負担していたが、小田原戦役において上杉景勝軍と戦い敗れた。そのままひっそりと廃城したか。
 平成初期まで遺構が残っていたが、現在は消失している。
2 構造
 舌状台地の先端部を空堀を用いて城砦化したもの。
 明治元年まで空堀は残されていたことから、形状は明確に記録されている。

戸塚立山公園にある解説板から。左の絵は、「新編武蔵風土記稿」に描かれた「小宮山弾正塁跡図」(2022/8月)
戸塚城の明治元年当時の状況。戸塚立山公園の解説板から。(2022/8月)

3 状況
 平成初期までは城の遺構である空堀が一部残っていた。その後、開発が進み城の遺構は完全に湮滅している。台地上の地形が城跡らしさを残しているほか、城跡の最西端にあたる、戸塚立山公園に解説碑が建つ。
 この「立山」も資料館の写真など「館山」表記もあり、城跡の名残なのではないか。

鳩ケ谷資料館の展示資料から、戸塚城発掘調査時の状況。手前が北、最手前が現在の大規模老人ホーム。中央奥に見える戸塚安行駅ロータリーと比べると位置関係が分かりやすい。

4 特徴
 戸塚城は小田原戦役後に廃城となり、江戸時代には農地だったと考えられるが、城の遺構の一部は近年まで残されていた。東京郊外として急速に開発が進む中でも、平成8年の時点でまだ堀跡が一条残っていたという。(参考 ※1)
 平成13年(2001)3月、埼玉高速鉄道が開通し戸塚安行駅が開業すると、都心にアクセスの良い駅前一等地として急速に開発が進む。それに伴う発掘調査により城跡の存在は確認されたものの、駅前一等地に城跡を残す余裕はなく、現在は地表面には遺構は存在しない。

戸塚城が分かる頃の航空写真
国土地理院HP掲載の航空写真「KT20021X」を利用して作成

 平成14年(2002)の航空写真を活用して作った写真。戸塚城の堀跡らしいものが映っている。台地西端の「戸塚立山公園」は、斜面ゆえに一貫して森となっており、形状からわかりやすい。戸塚安行駅前のロータリーも完成しており、現在の地図と比較できる。
 また、城跡南端部の「w」型の道路も、現在でも残っていてわかりやすいか。かつてはこの南方には、「根井堀用水」が通っており、この付近で「赤堀用水」と合流していた。
 

周辺の状況

完全に住宅地となっている。
戸塚体育館近くの神明神社の縁起碑には江戸時代の近傍の状況が感じ取れる記述が残されている。

神明神社。(2023/2/4)
神明神社内、落慶記念碑(2023/2/4)

個人的回想
 戸塚城は、城跡が失われていく状況が現在の資料で追える珍しい城です。
 城が失われたことに文句を言うつもりは無く、都心まで通える郊外型住宅地として発展した現在の戸塚安行を否定するつもりは全くありません。ただ、城の解説板が城域の端にある公園に立っているだけ、特に主郭部にある巨大な老人ホームや、城跡であったっぽい名前を冠する寺院などに城跡であることを示すものが全くないというのは、勿体ないなぁ、と感じるところではあります。
 下手に示すと「なぜ壊した」とか言われたりするのかしら。

 なお、立山公園の近くに明らかに城を意識した豪邸がありますが、これについては個人宅なので写真などは掲載しません。戸塚城を残そうという意思の元に建てられているのかどうかは謎です。


参考文献
(※1)「川口市史縮小版」31頁 (川口市、平成8)

更新履歴:2023/2/12 写真撮り直し。神明神社について記載