日本三大坑道(?)
一、関城の坑道
時は南北朝時代、関城(茨城県筑西市)を攻めるため、高師冬(wiki・師直の従弟)が築いたものの、地盤が軟弱だったために崩落して失敗したといわれる、残念な結果に終わった坑道である。
解説板
(研究学園都市と民族文化ライン No13)
坑道跡
南北朝時代、北朝方の高師冬は、関城の物見やぐらを攻め落とすために砿夫を募って地下道を掘ったあとです。
師冬勢が城の東北部から城に向かって行動を掘りはじめました。これに応じ城兵も外に向かって掘り進みました。しかし師冬勢の坑道は地盤が軟弱だったために落盤し、双方共坑道戦は中止したといわれています。
この坑道跡は大正九年九月、関館の青年二名が関館八幡宮西部里道の側面に偶然発見して世に知られるようになったもので、日本三坑道の一つとして戦史史上貴重な価値を有するものです。
香道之形式は、無枠、アーチ型に高さ約二メートル、幅一メートルに短柄鍬で砿夫が掘ったものです。
筑西市
二、不明
三、不明
以上。
解説すると、関城近傍に残る「坑道跡」に掲げられた解説板に見えるものの、そこ以外では全く見当たらない、謎の「日本三大」である。
もし、他の二つをご存じの方がおられましたらご教唆お願いします。
そもそも、地盤が軟弱で失敗したような坑道、しかも小さい坑道ですし、これが日本三大というのも変な感じがします。謎です。