くま城戦軍研 ―熊代城砦戦国軍事研究所

受付(ホーム) ・事務室
・城郭研究室 城メモ
・戦国研究室 地域情勢 人名名鑑
 ー基礎資料 農業 料理・加工食品
資料室

桂ヶ岡砦

別名:チャランケチャシ、イシメシナイチャシ
概要
 網走市郷土資料館やJR桂台駅にちかい桂ヶ岡公園に所在。和名が付く珍しいチャシ。和名であってもアイヌの「チャシ」であることには変わりなく、文化庁ホームページでも「国史跡・桂ヶ岡砦跡(かつらがおかちゃしあと)」。
 来歴は不明だが、二つの稜が並ぶその姿から《チャランケ(=議論する)》チャシとの異名が付く。
(登城日:2019/8/25 それ以降に状況は変わっている可能性があります。)

チャシ跡には珍しい和名の史跡碑と昭和12年の記載がある解説板。これそのものにも歴史的価値が出ていそう。(2019/8/25)

Ⅰ 所在地等
 北海道網走市桂町
 (国指定史跡)
Ⅱ 種別・利用法
  丘先式チャシというべきか。内部に住居跡あり。
Ⅲ 築城時期・築城者
  不明
Ⅴ 主要な事象
  なし
Ⅵ 遺構
  濠跡
Ⅶ 公共交通機関アクセス
  JR釧網本線・桂台駅から徒歩約200m
  後述する構造が分かりやすいよう、高低に色が付く図で示す。

国土地理院HP地図を利用して作成

1 来歴
 古くは川の名前を取って「イシメシナイチャシ(コツ)」と呼ばれていた。
 砦内に竪穴式住居跡が残されており、北筒式土器や石器が出土(参考※1)している。アイヌ文化以前の居住者がいた可能性がある。
 網走川対岸には幻の「オホーツク文化」の痕跡が濃く残るモヨロ貝塚(最寄)(文化庁HP)が残る地理条件も考えると、単純なアイヌのチャシではない可能性かもしれない。

2 構造
 東側に伸びる舌状台地を利用した丘先式チャシ。(舌状というほど明確でもなく、面崖式かも?)
 二つの丘が並ぶことから「チャランケ(=議論する)チャシ」と呼ばれた、と現地案内板にある。防御陣地としては貧弱であり、その名の通り「チャランケ」の場であった可能性もあるのではないか。

3 状況
 桂ヶ岡公園の一部として、チャシ全体がよく保存されている。

チャシ頂部の様子。整備されていて、チャシ全体を歩き回ることができる。(2019/8/25)
チャシ内壕跡の様子。かつてはもっと明瞭であったとみられる。(2019/8/25)
主郭周辺。濠跡が見てとれる(2019/8/25)

4 特徴
 アイヌのチャシの割には古い遺跡を内包することから、アイヌ文化以前に成立した可能性がある。
 「日本城郭大系」(参考※1)によると「壕内には大和蜆・浅蜊・獣鳥骨などを混じえた薄い層があるらしい」とのこと。これもまた、アイヌ文化以前の古い文化の痕跡である可能性もある。

解説板

 史蹟 桂ヶ岡砦阯
 説明
丘陵の一端に在り空壕をうがち土壘を築き防禦陣地となしたるものにして今尚二、三の穴居の阯を留め大小二個の小陵が並びある処からアイヌ人はこれをチャランケチャシともとなえた
 注意
一、壘濠の破壊をなさざること
一、其他指定地域内の現状を変更なさざること
 昭和十二年六月
  文部省 

その他の写真
丘頂の削平部。(2019/8/25)
史蹟碑拡大。昭和11年建造ということで、これが既に歴史的価値を感じる(2019/8/25)
周囲の状況

桂ヶ岡公園内には網走市立郷土博物館が建つ。
昭和11年建設の本館、昭和36年建設の別館ともに建物自体が登録有形文化財となっている。

郷土博物館外観。中央のドームが特徴的、フランク・ロイド・ライトに学んだ建築家、田上義也設計。内部の作りもよく残っており、展示物と同じくらい建物に目が行ってしまう。(2022/8/25)

個人的回想
 構造で述べた「その名の通り「チャランケ」の場であった可能性もあるのではないか」などはあくまで個人的感想です。また、来歴で述べた「単純なアイヌのチャシではない可能性もあるかもしれない」もあくまで個人的感想です。
 アイヌ以前に発展していたオホーツク文化の人たちからアイヌ文化にどのように文化が接続していったのか、そしてアイヌ文化以前から用いられていた可能性が高いこの桂ヶ岡砦だけが、あえてアイヌ語ではなく日本語で登録され現在に至っている。このあたりにも実は深い意味があるのではないかと訝しんでしまうところもあります。
 


参考文献
(※1)「日本城郭大系1」 30、31頁 (新人物往来社 昭和55年)

外部リンク
桂ヶ岡砦跡」(文化遺産オンライン)