くま城戦軍研 ―熊代城砦戦国軍事研究所

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春菊/菊菜(シュンギク/キクナ)

葉を食用 ・西洋では花を観賞用
キク目キク科シュンギク属


1 概要
 関西では主に菊菜、それ以外では春菊と呼ばれる野菜。現代においても地方において形状や収穫法に差がある。
 原産は地中海沿岸とみられ、古来より花を愛でる観賞用であったが、宋代の中国に伝わった後、高い栄養価に気づかれ野菜として育てられるようになる。日本にも野菜として伝来した。戦国時代の日本においては、伝来したてのニューフェイス野菜として一部で食され始めている頃だろう。
 「食べる風邪薬」と呼ばれるほどの豊富な栄養が特徴。
 元は観賞用であったこともあり、春にはその名の通りに菊のような可愛い花を咲かせる…のだが、野菜として食べたいアジアにおいては、花が咲きやすい種は野菜としての収穫が少なく嫌われがち。

2 戦国前略史
 地中海沿岸が原産とみられる。
 春先に菊のような花をつけることから、観賞用として栽培された。
・鎌倉時代
 中国に観賞用として伝来したが、宋代には食用とされていたとみられる。風邪薬として用いられていたとされ、豊富な栄養素に気づいていたのではないか。
・室町時代
 「蔭凉軒日録」に初出し「お湯殿の上の日記」などにも名前が出る「高麗菊(こうらいぎく)」が春菊のことである、という説もある。その通りだとすると15世紀には伝来していたことになる。

3 戦国時代
 中国から、少なくとも戦国時代くらいまでには伝来し、食用として導入されたと考えられ、既に栽培・食用されている可能性がある。
 栽培されていたとしても、西日本から広まっていったとみられ、関東に広まるのは江戸時代より後、一般的になるのは更に後の時代であったと考えられる。

4 戦国後略史
・江戸時代
 特に関西を中心に「菊菜」として栽培が広まっていく。一方で、江戸近郊においても栽培されていた記録が出てくる。江戸時代の料理書などにはすでに「春菊」の名前も出てきている。
(関西「菊菜」関東「春菊」という名称の並列現象が既に始まっている)
・昭和期
 昭和期以降、関東においても栽培が盛んとなる。
 葉の切込みがある「中葉種」が盛んとなり、特に関東においては、脇芽を何度も収穫できる「株立ち種」が主流となっていく。一方の関西では、根から引き抜き株ごと収穫する「株張り種」が主流となる。また、九州や四国では葉に切り込みの少ない「大葉種」が引き続き栽培され、同じ種の野菜でありながら地域ごとにより形状も採集方法も異なるという状況のままで現在にいたる。
・現代
 香りが控えめで葉も柔らかく、生で食するのに向く種も開発され、「サラダ春菊」などとして販売されている。

5 栽培
 前述のとおり、栽培方法や収穫方法は地方によりさまざまである。
・栽培方法
 大葉種や、中葉種のうち根元から収穫する「株張り種」は、春に種を植え、花芽が出るまでに収穫する。
 秋に種を植える「株立ち種」の場合は、冬の間にも霜を防げば脇芽を収穫し続けることができる。
・栽培注意事項
 冷涼な気候に強いが、霜には弱い。
 現代において、株立ち種から冬季に脇芽を収穫し続ける場合は、トンネルを作るなどして霜害を防いでいる。

6 食品特徴
 葉や茎、あるいは若芽を食用とする。若芽や適応種は生食することもできるが、鍋などに入れたり天ぷらにしたりする食用法が一般的である。
・栄養素
 緑黄色野菜の中でも特に栄養豊富。ベータカロチンやビタミンCは特に豊富で、「食べる風邪薬」とも言われるほど。ミネラルも豊富で特にカルシウムが豊富に得られる。
 独特の香り成分は「α-ビネン」などによるものでリラックス効果などがあるとされている。

7 文化
 前述のとおり、欧州などでは花を観賞する植物として育てられてきた。

8 戦国活用メモ
 戦国時代の日本では、伝来後間もなく、栽培が始まったばかりのニューフェイス野菜。江戸時代以降の状況を鑑みると、西日本でのみ徐々に広まっている、という状況ではないだろうか。
 鍋料理のアクセントとしての活躍が見込まれるのはもちろんのこと、当時の人はまだ存在が知られていないビタミン群(特に豊富なベータカロチン)やミネラル(特に豊富なカルシウム)の摂取源として、健康管理に一役買うことは間違いない。「食べる風邪薬」の異名は伊達ではない。
 科学的知識のみがその真価を裏付けられるニューフェイス野菜…と考えれば価値ある野菜といえよう。
 


外部リンク
シュンギク(wikipedia)