ピㇼカノカ=《優れた・景色》、カムイチャシ=《神の・砦》。
内浦湾に突き出た突端部に築かれたチャシ。その名のとおり、湾を一望できる素晴らしい情景である。突端を壕で切り落とした地形は防衛施設としても見ごたえあり。
(登城日:2020/11/2 それ以降に状況は変わっている可能性があります。)
Ⅰ 所在地等
北海道虻田郡豊浦町
国指定景勝文化財「ピリカノカ」
Ⅱ 種別・利用法
丘先式チャシ、防衛の痕跡があり砦などに利用か
ⅢⅣ 築城時期、築城者
不明
Ⅴ 主要な事象
江戸時代、明治時代を通じて聖地として認識される。
Ⅵ 遺構
濠
Ⅶ 公共交通機関アクセス
豊浦町営バス(web)礼文華線「カムイチャシ公園前」下車
JR大岸駅から2km弱だが、大岸駅発着の便はとても少ない。
洞爺~豊浦までバスで行き、乗り継ぐ手段もあり。
1 来歴
地形的に古くから特別な扱いはされていたのだろうが、築城時期は不明。
松浦武四郎の「東蝦夷日誌」に登場する。
カムイチャシ(神の砦)という名の由来は不明だが、かつては貴人が住んでいたともされる。
2 構造
海に突き出た丘の尾根道を壕で切った先丘式チャシ。
「東蝦夷日誌」には井戸があったとの記述もあり(参考※1)、防御施設としても十分な能力がある。
3 状況
観光地としてよく整備されている。
チャシに向かう尾根道の付け根には展望台もあるのだが、撮り鉄さんたちに占拠されていて写真は撮れなかった。
5 その他
撮り鉄さんの間では、室蘭本線を狙うポイントとして知られているらしい。当日も撮り鉄さんにより、展望台は占拠されていました。
解説版、碑文
「名勝」解説碑(登城口の前)
名勝ピㇼカノカ カムイチャシ
指定年月日 平成二十三年二月七日
ピㇼカノカとはアイヌ語で「美しい形」を意味し、アイヌ語の物語や伝承、祈りの場、言語に彩られた優秀な景勝地群を総称するものです。
「カムイチャシ」は茶津岬突端の上面に築かれたアイヌ人の「チャシ(砦・柵囲い)」があったことと、「貴人が住ませし所」と言われたことから、「カムイ・チャシ・コツ(神・砦・跡)」と呼ばれていました。
明治以降は「カムイチャシ」と呼ばれ神聖な場所として伝承されてきました。三面を断崖で囲まれ、一条の壕で「チャシ」本体のある突端部が区画されています。江戸時代から当地方を訪れた多くの探検家、旅行者の記録にもその存在が記されています。また、この岬を越え礼文華に至る山道は「チャシ峠」として知られていました。
現在では「チャシ」のある上面は「カムイチャシ史跡公園」として整備されており、頂上からは内浦湾を一望できる絶景が楽しめます。また、周辺の海岸はキャンプ場として多くの人々に利用されています。
この茶津岬とその周辺はその景観の優れていることから、名勝ピㇼカノカ カムイチャシとして指定されました。
指定面積は陸上・海上合わせて五・八ヘクタールです。
(お願い)指定地域内では危険行為・自然破壊行為はしないで下さい。
平成二十三年七月 豊浦町教育委員会
カムイチャシ史跡公園
東にオフケシ(大岸)、西にレブンケップ(礼文華)、南に駒ケ岳を望むこのカムイチャシは、原形のまま残されている道南随一の史跡である。
その種類は、丘先式・面崖式・丘頂式・平地式・孤島式等およそ四八三基が確認されている。このカムイチャシは、丘先式の一つである。
「チャシ」とは、アイヌ語で砦・館・柵・柵囲いの意味をもつ。
チャシの建造の目的として、濠を掘り木柵や土塁をめぐらして、館や砦として利用する場合と、宗教的行事や会合を行う祭壇的な場としての利用に大別される。
ここカムイチャシは、つぶて石の発見から砦を目的として造られたものと思われる。
昭和六十三年八月 豊浦町教育委員会
細かい写真など
個人的回想
登城時、出発が遅れたことにより洞爺駅発豊浦行きのバスに乗り損ね、バス乗り継ぎでカムイチャシまで行くという計画が破綻。JR大岸駅から近いとはいえ、室蘭本線の鈍行は昼間全くなし。結局、洞爺駅からカムイチャシまで国道を3時間半歩き、そこから引き返して大岸駅発東室蘭行普通に何とか間に合ったのでした。
これだけ見学しやすいチャシなのに写真が少ないのはそのせいです。
外部リンク
豊浦町ホームページ「カムイチャシ史跡公園」
参考資料
(※1) 「日本城郭大系1」165-166頁 (昭和55年 新人物往来社)