くま城戦軍研 ―熊代城砦戦国軍事研究所

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資料室

インカルシ(瞰望岩)

 がんぼう岩。《インカルシ》=inkar・us・i(眺める・いつもする・所)
 遠軽を訪れる者は必ずや目を止めたであろう、この地の象徴たる奇岩。地名の由来ともなっている。十勝アイヌの侵攻に際し、湧別アイヌはこの地に籠城、苦戦したものの湧別川が氾濫し十勝アイヌの大軍を押し流したという伝説が伝わっている。
(登城日:2020/08/01 それ以降に状況は変わっている可能性があります。)

Ⅰ 所在地等
  北海道紋別郡遠軽町
  国指定名勝「ピㇼカノカ」の構成資産
Ⅱ 種別・利用法
  丘頂式チャシ。見張り台、防衛施設として利用
ⅢⅣ 築城時期
  不明。築城するまでもなく要害の地
Ⅴ 主要な事象
  時期は不明だが、十勝アイヌと湧別アイヌの戦場となった。
Ⅵ 遺構
  なし。
Ⅶ 公共交通機関アクセス
  JR遠軽駅から徒歩圏内。

国土地理院HPを利用して作成。

1 来歴
 噴火による噴出物が蓄積し、湧別川による浸食作用に耐えた部分が残っているとみられる奇跡的地形。
 時期は不明だが、湧別アイヌがこの地を治めていた頃、十勝アイヌが上川方面から侵入、籠城戦となる。湧別川が氾濫し、撃退したとされる。(この戦いについては畳んで後述します)

十勝アイヌの進撃と湧別アイヌの迎撃
国土地理院HPを利用して作成。

 時期は不明だが、湧別川を中心に栄えた「湧別アイヌ」は、チトカニウシ山までの地域を狩猟区として暮らしていた。
 だが、十勝アイヌが上川方面から猟区を侵犯してきた。チトカニウシ山を境に戦場となるが湧別は敗れ、セタニウシ(=背谷牛山)で反撃を企てるも、これも失敗。最後の防衛拠点、インカルシに籠った。
 優勢の十勝アイヌはある日、インカルシへの一斉攻撃を企図。しかしこの時、湧別川が一晩で氾濫し、十勝勢を押し流した。湧別アイヌは多くの兵を失ったが、勝利を収めた。

遠軽町郷土資料館の展示資料。(2020/8/1撮影)

 十勝アイヌの侵攻は広大な範囲に及んでおり、時期は不明だが様似などにも進攻している。一方、この攻撃を川の氾濫という不確定要素が要因とはいえ撃退した湧別アイヌはその後も発展したとみられるが、これ以降の状況はあまり歴史に残されていないようである。

2 構造
 地形だけで十分な防御能力があったとみられる。
3 状況
 今でも展望台として、町民の憩いの場となっている。

頂上には柵などなし。この自己責任感は僕は好きです。(202/8/1 撮影)
展望台から見下ろす遠軽の街(2020/8/1 撮影)

4 その他
 遠軽町の町名の由来となっている。
 湧別村の一部であったころ、郵便局設置のために現地に訪れた札幌郵便局の職員が、インカルシのアイヌ名を聞き感銘を受け、「遠軽郵便局」と名付けたのが始まり。以後は他の機関もこれに倣い、「遠軽」と付けるようになり、いつしか地名、町名となっていった。GJである。

解説板

 登城口下、遠軽公園内と、山頂付近に解説板が所在。内容は同一。

山頂近くの案内板。遠軽公園内にも同じ内容の解説板あり。(2020/8/1 撮影)

 名勝ピㇼカノカ 瞰望岩(インカルシ)
 指定年月日 平成二三年二月七日
 ピㇼカノカとはアイヌ語で「美しい形」を意味し、アイヌの物語や伝承、祈りの場、言語に彩られた優秀な景勝地群を総称するものです。
 瞰望岩は、約七三〇万年前に噴出した火山角礫によって形成された比高約七八メートルの岩塊(標高一六〇.八メートル)で、湧別アイヌと十勝アイヌなどとの間に壮絶な戦いを繰り広げた古戦場として、また神祭が行われた厳粛な場所であったと伝えられています。
 アイヌの人々がこの瞰望岩を「見張りするところ」「眺望するところ」という」意味の「インカルシ」と呼んでいたことから、アイヌ語の「インカルシ」は遠軽の地名の起源となりました。
 この瞰望岩を中心とした一帯は、国指定名勝ピㇼカノカの五番目の構成資産として追加指定されました。その指定地面積は約一・九ヘクタールです。
 北海道自然百選にも選定されている瞰望岩周辺は、風致保安林及び都市公園として保護されていますので、市街地でありながらも自然度が高く、稀少な植物を観察することができます。
 また、瞰望岩頂上からは中心市街地をはじめ、周辺の田園や丘陵、晴れた日には遠くオホーツク海まで眺めることができ、町のシンボルとして広く町民に親しまれています。

周囲の状況
遠軽公園からインカルシに登る登山道。ひたすら階段です。(2020/8/1)
遠軽公園に展示されている鉄道車両①、雪カキ車キ100形式(2020/8/1)
遠軽公園に展示されている鉄道車両②、D51(2020/8/1)

個人的回想
 地図には「直登できる」と普通に書いたが、比高約八十メートルという高さを階段で一気に昇るのは結構大変。僕も上についた時には結構足に来ていました。
「これが、若さか…」とつぶやいてしまったのは、この地がこの方の出身地であることと無縁ではあるまい。なお、郷土資料館の資料などにも安彦さんが描いた資料が多数飾られています。駅から近くですし、ファンの方はぜひ。


外部リンク
・遠軽の歴史「瞰望岩の伝説