目次
<道南>
(檜山)
・タナカイシ(タナケン)
・タリコナ
<道東>
(十勝)
・チパイコロ 等
<津軽>
・八重・佐助
<道南>
(檜山)
・タナカイシ(タナケン(多那嶮)) (?~1529)
瀬田内チャシに住した酋長。
武勇を知られたセタナイ(瀬棚)の酋長。道南に覇を唱えつつあった蠣崎家に反抗。蠣崎義広はタナカイシの本拠地、セタナイ攻撃に重臣の工藤兄弟を向かわせるが敗北、兄の工藤祐兼が戦死する。弟の祐致は激しい追撃を受けつつ敗残兵をまとめて逃げたが、現在の熊石の海岸で逃げ場を失った。この時に雷鳴がとどろき暗雲が立ち込め、祐致は難を逃れたという。(奇岩雲石の伝承)
タナカイシ率いる軍は進軍を続け、蠣崎家の拠点、上ノ国勝山館を包囲。蠣崎義広は危機を迎えるが、降伏を装い、賠償の宝物を受け取ろうとしたタナカイシを暗殺し、難を逃れた。
・タリコナ(多離困那) (?~1536)
タナカイシの娘婿。西部の有力者であった。
妻に義父・タナカイシの敵討ちを懇願され、天文5年に蜂起したが、早々に蠣崎義広に察知される。偽りの和睦の宴において夫婦ともども義広に暗殺されたという。
<道東>
(十勝)
・チパイコロ(1500前後?)
帯広の酋長。古くからこの地に住んでいた。
・シャガニ (1500前後?)
音更の酋長。北見から山を越えて入植した。
・モザルク (1500前後?)
札内の酋長。石狩系。
<津軽>
・八重(?~天正期)
・佐助(?~天正期)
津軽地方、喜良市(きらいち、現五所川原市内)に所在していた狄の酋長。
津軽為信の飯詰平定戦に際して為信に服従しなかったことから、山越二牛之助が率いる侍20騎ほどの軍勢により討ち取られたという。
参考「新編弘前市史 通史編2近世1」(ADEAC版)