くま城戦軍研 ―熊代城砦戦国軍事研究所

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真菰/真菰筍(マコモ/マコモダケ)

 植物としては「マコモ」。茭白、茭筍。「コモ」は蒋、薦などとも。
 茎、種子を食用 ・葉茎は筵、茶などに利用 ・お歯黒、眉墨などに利用
 イネ目イネ科マコモ属

水辺に生えるマコモ(画像はwikipediaより。wikipedia commonsの指針に従い再利用しています。)

 種子を食する穀物「真菰(ワイルドライス)」、肥大した茎を食する野菜「真菰筍」という側面がある。この項目ではそれらを含め、総合的に解説する。

1 概要
 水辺に育つ大型・多年生の沼沢植物で、日本全国で見られる日本在来種。古来より乾燥させた茎葉は筵(むしろ)や畳芯の製造に用いる他、種子が食用となる。米の伝来以前に縄文人の重要な食料であった可能性も。
 一方現代の食用の主用は、黒穂菌に寄生されることで肥大化した新芽や茎を食するもの。茎を食するものを日本では「真菰筍(まこもだけ)」「菰角(こもつの)」、中国では「茭白、茭筍」などと呼ぶ。日本在来のものは黒穂菌に寄生されても肥大せず、中国から古代に伝来した品種から採れる。
 放置しても育つ強さと栄養価の高さで再評価されつつある。

2 戦国前略史
・縄文時代~古墳時代
 日本全国の水辺で繁栄していたとみられる。
 日本在来種は黒穂菌により肥大することがないものの、種実が採れたとみられ、米伝来前の縄文人にとっては、重要な穀物であった可能性がある。
 そんないわれあってか、出雲神社をはじめとする神社において神聖視されており、邪気を払うなどとして儀式に用いられることも多い。
 中国では紀元前から、黒穂菌に寄生され芽や茎が肥大化する「ヒロハマコモ(広葉真菰)」を育て芽や茎を食しており、種も「菰米」と呼んで食用にした。温暖な水辺で容易に育つことから、中国から東南アジアの各地に広まっている。
 また、北米大陸では近縁種、「アメリカマコモ」が根付いており、ネイティブアメリカンが舟で種実を採集し食した。現在でも「ワイルドライス」と呼ばれ利用されている。
・奈良時代
 奈良時代には菰(こも)の葉を編んで作った筵を寝具に使っていた。正倉院に残り、聖武天皇が使用したという日本最古の畳「御床畳」は、菰で作った芯にイ草で編んだ表を被せた物である。
・平安時代~鎌倉時代
 「和名類聚抄」(資料集)には「菰」「菰首」別名「蔣」、和名「古毛」とあり「こも」と呼ばれていたことがわかる。菰首の詳細は不明であるが、中国で食用にされている記載なので、新芽や真菰筍を指すか。
 一方、平安時代には、真菰の若芽・茎が肥大化したものを食べる文化、肥大化する品種「ヒロハマコモ」、そして寄生して肥大化させる黒穂菌が中国から伝来していたと考えられる。
 なお日本在来種の真菰は黒穂菌に感染しても肥大化せず、ただ黒くなるだけであった。茎に黒穂菌が繁殖すると黒い胞子が発生し食用にならなくなるが、一方でその胞子は黒い染料としてお歯黒や眉墨、漆器などに利用されてきた。
 引き続き、野生の穀物や筵の材料としても利用されていた。また、平安時代には「粽(ちまき)」が定着するが、菰の葉は粽を包む材料として取引されていた(参考※1)
・室町時代
 室町時代の書物でも野菜として扱われている。「薦子」などと呼ばれ、芽も食されていたのだろう。
 茎に黒く発生する胞子を染料として用いていたのも相変わらずとみられ、「真菰炭(まこもずみ)」といった記述も残る。
 菰の葉を編んで作る筵は引き続き重用されていたはずである。

3 戦国時代
 特筆することもないが、各地で様々な方法で利用されていると考えられる。
 組織的に栽培されているのかは不明ではあるが、干拓などが進んでいない戦国時代では、各地の水辺において、現代とは比べ物にならないほどに多く見られるはずである。

4 戦国後略史
・江戸時代
 江戸時代の農業書には、栽培の方法なども記されている。
 若芽を食べるほか、葉を刈って粽をつくり、実は「サムコメ」と呼び食した。茎の内部を食べる「真菰筍」も見られる。菰で作る筵も、経済的発展に伴い大量に生産され、消費されるようになっていったと思われる。
 一方、江戸時代においては干拓により湿地が急速に減っていったことから、全国的な生育地は減っていったものと思われる。
・昭和~現代
 近代以降においては治水工事が進んだことで川や沼の水辺は一気に減ったため、真菰も一気に減っていった。
 現代においては、真菰の持つ水の浄化作用が見直され、水辺の風景を復活させるために注目されている。食物としても栄養価の高さからスーパーフードとして再認識されつつある。生産の盛り上がりを示すように、国内の各産地の持ち回りで2年に1度、「まこもサミット」が開かれている。

5 栽培条件
 ・栽培方法
 栽培する場合は、稲のように水田で育てる。4~5月に苗を植え、9~11月に収穫する。栽培は容易であり、放っておいても地下茎でどんどん増える。
 後述のとおり、真菰筍を収穫する場合は収穫に適する時期が短いので、収穫時期をずらすために時期をずらして植えるなどの工夫が必要。
 種子は数日乾燥させると芽を出さなくなるという特徴があり、播種による栽培には向かない。親株から伸びる地下茎から出てくる芽を取る、または親株を縦に割って分割するなどして、優秀な親株から株分けして苗を増やして育てる。
 苗を浅水に植え育つにつれ深水とする。深水育成により雑草の被害が防げる。
 新芽を採集して食することもある。
 真菰筍は、秋に茎が肥大したところで収穫する。
 ・栽培注意事項
 収穫時期が遅れると黒穂菌が繁殖をはじめ、茎にも黒い斑点を生じるようになり、食品としての質は大きく損なわれるので注意が必要である。
 ・栽培地域
 日本在来種の真菰は日本全国で育つが、伝来種の肥大する真菰は温暖な地域の植物なので、水温を比較的高く保つ必要がある。

マコモダケ(画像はwikipediaより。wikipedia commonsの指針に従い再利用しています。)

6 食品特徴
 真菰筍には、食物繊維の他ビタミン、ミネラル(特にカリウム)、葉酸などを豊富に含む。本場の中国においては古くから健康維持に役立つとされてきた。
 葉は古来より粽(ちまき)を巻くのに使われてきたが、現代では茶として飲むこともある。

7 派生種
・アメリカマコモ(ワイルドライス)
 北米大陸、五大湖周辺などに自生しており、種子を食用とする。脱粒しやすく、舟で株の間を行き来し、棒で穂をたたいて舟の中に脱粒させ、採取したという(参考 ※2)。現代でも栽培され、食されている。

8 文化
 古代から枯れた菰の葉を編んで「筵(むしろ)」が作られた。特に肥大化しない日本在来種では、こちらの利用法が主となると考えられる。
 古来より、真菰に発生する黒穂菌の胞子は漢方薬になる他、「真菰炭」としてお歯黒、眉墨などに利用された。
 日本最古の穀物のためか、古い神社では神聖視されている。有名なのは出雲大社で毎年6月に実施される涼殿祭は別名「真菰の神事」として知られている。

9 戦国活用メモ
 健康食品ではあるものの、歴史を変えるほどの力がある食物でもない。戦国時代においても細々と食べられている、といった程度か。
 ただし、戦国時代においては現代とは比べ物にならないほどに、生息地である川辺の湿地帯は多い。筵などの原料として生活には不可欠である中、優良株を株分けすれば食品も得られるとなれば、増やす価値はあるだろう。何分、水辺ならば放っておいてもどんどんと増えていくはずである。


参考文献
※1 「野菜の日本史」223頁 (青葉高 八坂書房 2000)
※2 同上、225頁

外部リンク
・「菰野の真菰」(三重県菰野町商工会HP。菰野はもともと野生の真菰が多く生えていたことから名づけられた土地で、思い入れも深い模様)
・「2022年 第11回まこもサミット in出雲」 第1回は潮来で実施された。

内部リンク
 資料集「和名類聚抄