くま城戦軍研 ―熊代城砦戦国軍事研究所

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蒟蒻芋(コンニャク)

 農作物「コンニャクイモ」はその用途がほぼ「コンニャク」の製造に限られているため、加工食品「コンニャク」についても本項に記す。

地下茎を加工し食用 ・加工後は食用以外にも利用例あり
オモダカ目サトイモ科コンニャク属

1 概要
 シュウ酸カルシウムを多分に含むことからえぐみの塊であり、普通には食べられない、野生生物にも嫌われがち。端的に言えば毒物。
 なぜこれを加工し食べようとしたのかは謎であるが、糖化させアルカリ液で凝固し「蒟蒻」として食する技術により農産物としての地位を得た。特に「精進料理」で利用された。爆発的に進展するのは江戸時代、水戸藩で一農民が芋の粉末貯蔵を思いついたことによる。
 宗教理念に併せた発展、そして一農民の思い付きによる大進展。歴史浪漫を感じさせる食べ物だが、主食となるほどの栄養価は無く、歴史を一変させるほどの力はない。まさにコンニャクという食材の立ち位置そのもの、歴史という混沌とした鍋料理においても名脇役であり、コンニャクらしい良い味を出している。
 高分子素材の側面もあり、接着剤として利用されていた点も重要か。

2 戦国前略史
 植物としてはインドシナ半島が原産か。東南アジアには現在でも蒟蒻芋の仲間が多数存在するが、多くは現在の蒟蒻芋と違い固めることができない。
 この毒物を食べる方法を思いついたのが最大の謎であるが、その謎が解けることは無さそうである。
・縄文時代~奈良時代
 伝来期に関しては謎が多い。
 縄文時代には伝来していた説、仏教とともに伝来した説などがある。唐代には中国で現在のような食べ方が開発されていたとみられ、奈良時代くらいには作物とともに蒟蒻への加工法も伝来していた可能性がある。
 なお、開発元である中国においては、現在に至るまで蒟蒻を食しているが、日本ほど大衆化しているわけではない。(「魔芋」などと呼ばれる)この謎の食品をここまで進展させたのは世界で日本だけである。
・平安時代
 「和名類聚抄」(資料集)には、「蒟蒻」、和名「古邇夜久」(こにやく)がとして記載。説明も「肥白した根を灰汁と煮て凝成」とまさに蒟蒻であり、この頃には食品「こんにゃく」として認識されていたのだろう。
・鎌倉時代
 禅宗が伝来すると、それに付随して「精進料理」も伝来した。禅宗の発展にあわせ、精進料理におけるメインおかずとなりうる蒟蒻は、豆腐と併せて地位を得ていったものと考えられる。
・室町時代
 一日二食だった時代において現在の昼食にあたる「間食」が登場するが、肉食を嫌った寺院では間食の定番としてみそ仕立ての蒟蒻が流行したらしい。また、都の路上で「蒟蒻売り」が登場している。
 なお、古い時代の蒟蒻は皮部分も使った黒っぽい色合いの蒟蒻だったのではないかと考える。理由は、後に粉末から白い蒟蒻が作れるようになった際でも、わざわざ「蒟蒻っぽくない」という理由からヒジキなどを加え黒くしていることから。この頃の精進料理からの「蒟蒻=黒」の印象が現代の商品にまで影響を与えているとすると歴史浪漫を感じるのだけど、明確な証拠はない。

3 戦国時代
 戦国以前と同様、栽培され利用されていたと考えられる。
 芋の粉末貯蔵が開発される以前は生の蒟蒻芋から作成していたはずで、江戸時代以降に比べると季節を選ぶ食品だったろう。
 近江八幡の名物、酸化鉄を混ぜて色を付ける「赤蒟蒻」は、派手を好む織田信長が作らせたという説もある。

出典:農林水産省HP[「赤こんにゃく煮|うちの郷土料理

4 戦国後略史
・江戸時代
 安永6年(1776)、水戸藩那賀郡において、中島藤右衛門という男がコンニャク界に革命を起こす。乾燥蒟蒻が腐らないことに着想を得たことで、「蒟蒻芋を粉末化」したのである。これにより蒟蒻芋を大量に収穫しても、粉末化して通年生産することが可能となり、蒟蒻は手軽に食べられる庶民の食品となっていくことになる。
(逆に言うとその前から、蒟蒻芋を乾燥させある程度保存する技術はあったんじゃないかな、とも考えられるが証拠はない)
 特に江戸時代の屋台文化においておでんが大発展したことにより、蒟蒻もそれにあわせて大衆化していった。白滝や糸こんにゃくといった派生品も江戸時代には誕生している。各地の街道の茶屋で旅行者に対して茶と団子を供する文化が発展する中で、米や砂糖が十分に得られない羽州街道においては「玉こんにゃく」を醤油味に煮つけ団子のように供するようになったという。
 また、こんにゃくは耐水性を持つ高分子素材という側面ももち、和傘の接着に使われていた。
・昭和期
 大東亜戦争時、天然ゴムの代わりとして風船爆弾の接着に使われた。(後述)
・近現代
 食品としてはカロリーが極めて低く主食たりえない蒟蒻だが、近現代では却って健康食品として世界から注目を浴びている。特に欧米ではしらたき(糸こんにゃく)がパスタの代用として注目されており、「Shirataki noodle」として売られている。

5 栽培
 植え付けてから収穫までに3年以上かかる。
・栽培方法
 「生子」と呼ばれる種芋から増やすのが一般的。
 現代の栽培法としては、一年目春に生子を植え、冬に掘り返し、二年目の春に植えなおし、冬に掘り返し、三年目春に植えなおし、冬に収穫する。収穫した際に種芋も確保し、再度育てる。
 花を咲かせるので種からも増やせるが、花が咲くのは五年目以降。特徴的な容姿と臭いを持つ。
・栽培地域
 現代では北海道でも育てられているが、本来は南方原産植物であり発育には年平均13℃ほどの気温が必要。東北以北では保温措置が必要となる。
 乾燥にも過湿にも弱い。水はけの良い土地での栽培が必要であり、古くから火山灰土壌や斜面で育てられている。現代で群馬県が名産地になっているのも斜面と火山灰土壌が多かったことによるのだろう。肥料はあまり必要としない。
・栽培注意事項
 湿度が多いと病気になりやすい。乾燥にも強いわけではなく、とにかく水はけが良い土地が向く。

コンニャクの花。wikipediaより。wikipedia commonsの方針に従い再利用しています。

6 食品特徴
 生の蒟蒻芋はシュウ酸カルシウムを多く含み、人間は触れただけでも痛みを感じるレベルである。食べるどころではない。
 そんな芋の成分、コンニャクマンナンを糊化し、アルカリ液(近世以前は草木の灰を水に溶かしたものが一般的)で凝固させたのが蒟蒻。低カロリーで食物繊維が豊富。腸まで消化されずに届き、物理的に腸を綺麗にすることから、古来から「砂払い」と呼ばれ整腸剤として活用されてきた。
 食用する際には煮込むなどして灰汁抜きする。

7 派生食品
・しらたき/糸こんにゃく
 蒟蒻は板状に作られるが、煮物での使用が一般的になると、味が良くしみこむように麺状に進化する。この際、関東では「材料を細い穴から押し出して作る」のが一般化し「しらたき(白滝)」と呼ばれ、関西では普通に作った蒟蒻を切って麺状にするのが一般化し「糸こんにゃく」と呼ばれた。現代では製法ではなく、白いものを「しらたき」、黒いものを「糸こんにゃく」と呼ぶ。
・刺身こんにゃく
 粉末から作った灰汁の少ないこんにゃくを生で食べるもの。江戸時代には誕生していた。現代では青のりなどで色づけすることが多いが本来は白い。

8 文化
 蒟蒻は食品として利用するのみならず、耐水性を持つ高分子素材という側面ももち、「こんにゃく糊」として和傘や提灯の接着に使われる。
 大東亜戦争末期の日本では、戦況の悪化に伴い入手が困難となってきた天然ゴムの代わりとして接着剤として利用した。特に和紙とこんにゃくから作られた「風船爆弾」は米本土まで到達するほどの強度を誇った。アメリカも風船爆弾の素材を分析したものの接着剤の正体を解明できなかったとも。

9 戦国活用メモ
 江戸時代に開発された「蒟蒻芋の粉末化」は戦国時代でも再現可能であろう。食材としても早期量産可能になりそうだが、食品としては低カロリーで脇役な蒟蒻なのでインパクトはそれほど大きくないかも。
 むしろ、高分子素材としては戦国日本で安定して手に入れられる唯一の素材である可能性があり、そちらでも最強のチート素材ともなりうる。
 上手くすると和紙とこんにゃくで空を飛べるんじゃないかな。


外部リンク
コンニャク(wikipedia)
株式会社関越物産HP「こんにゃくの歴史について」
・「赤こんにゃく 滋賀県」(農林水産省「うちの郷土料理」)

内部リンク
 資料集「和名類聚抄