くま城戦軍研 ―熊代城砦戦国軍事研究所

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資料室

ポンチャシ<有珠>

登城口、左側はパークゴルフ場(2020/8/6)

 《ポン》=「小さい」
 その名の通り、小さいチャシ。かつてはこの北側にポロチャシ(大きいチャシ)があり、さらにその北にもチャシコツ(チャシ跡)と、三つのチャシが並んで存在したが、現在、原形を保ち、内部に入れるのはこのチャシのみ。
(登城日:2020/8/6 それ以降に状況は変わっている可能性があります。)

Ⅰ 所在地等
  北海道伊達市向有珠町
  伊達市指定史跡
Ⅱ 種別・利用法
  丘頂式チャシ。見張りか祭祀場所などに利用か。
ⅢⅣ 築城時期、築城者
 不明
Ⅴ 主要な事象
 幾度となく、有珠山の噴火に見舞われている。
Ⅵ 遺構
 チャシそのものが残っている。もとが小規模なチャシである。
Ⅶ 公共交通機関アクセス
 JR有珠駅から約1.6km。
 「アルトリパークゴルフ場」を目指すと良い。

国土地理院HPから作成

1 来歴
  不明。
 「日本城郭大系」(参考※1)によると、ボーリング調査の結果、遺構が安土桃山期~江戸時代にかけて降ったとみられる火山灰の下にあり、それ以前に建てられていたと考えられる。(寛文3年(1661)の有珠山大噴火の前、ということか)一方、北の「チャシコツ」の山頂削平部などには火山灰の堆積が無く、有珠山大噴火の後に作られたと考えられる。
 有珠山噴火によりポンチャシ、ポロチャシを放棄してチャシコツを築いたか、あるいは寛永17年(1640)の駒ヶ岳大噴火による津波被害で、沿岸部は大被害を被り、内陸に移動したのかもしれない。

2 構造
  高さ約14mの小さな丘の頂上を削平して築かれている。
  南部には段があり、御供山型チャシともいえる。

3 状況
  近くにあった他の二つのチャシと違い、手つかずで残っている。
  

パークゴルフ場越しにチャシを見た写真。正面の大きな木の右下の白い柱の脇に解説板が小さくみえる。(2020/8/6)

4 その他
 裾野一帯には、続縄文時代や擦文文化時代の貝塚が分布するとのこと。
 古くから人が過ごしやすい土地であったのだろう。

解説板

登山口の解説板。なお、この時雨が降ってきたのとご覧の繁茂状態だったので、ここ以上は登っていない。(2020/8/6)

 ポンチャシ
 このチャシは、平面が楕円で高さ14メートルの独立丘を利用し頂き部を平らにし、南部に段をつくった丘頂式チャシコツである。
 また、このチャシの裾野一帯は続縄文時代から擦文時代にかけて貝塚が分布する貴重な遺跡である。
 伊達市教育委員会

周囲の状況

駅とポンチャシの中間くらいに「ジョン・バチラー夫妻記念堂」が所在。
昭和に築かれた石造の礼拝堂で、異国情緒を越えて異世界感すらある。

ジョン・バチラー夫妻記念堂の解説板。8月なのに紫陽花がさいてるのにも注目(2020/8/6)
バチラー記念礼拝堂。普通の住宅街の中の林に少し入っていくとこれが現れるのは、まさに異彩。(2020/8/6)

 礼拝堂の中には資料室もあるが、土曜日のみ開館とのことでした。

細かい資料
B&G海洋センターはすでに潰れている模様?今はパークゴルフの受付施設のみの営業の模様。(2020/8/5)

 チャシにたどり着くには、パークゴルフ場と私有地の間を通る、というか実質的にパークゴルフ場の中を歩く感じになるのですが、まあ、こんな看板もあるくらいだから大丈夫なんでしょう。
 ちなみに僕が行った時には、パークゴルフ場が休みだったので無事に解説板まではたどり着けました。

個人的回想
 この時は雨が降っており、チャシ登城口もけっこうな繁茂状態だったので上までは登れていません。登りたい場合は夏は避けられるべきでしょう。


外部リンク
「アルトリパークゴルフ場」(伊達市HP) ーポンチャシはこの隣
「伊達市内の指定史跡」(伊達市 噴火湾文化研究所)

参考文献
※1 「日本城郭大系1」 167頁(昭和55年、新人物往来社)

内部リンク
・資料集「駒ヶ岳噴火津波