くま城戦軍研 ―熊代城砦戦国軍事研究所

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あちゃら漬け

出店:農林水産省Webサイト「あちゃら漬け 福岡県|うちの郷土料理

関連項目:農作物「唐辛子(トウガラシ)
     農作物「大根(ダイコン)

1 概要
 下処理した野菜を唐辛子と和え、甘酢に一晩程度漬け込んだもの。
 福岡の郷土料理として知られ、お盆の風物詩である。
 日本の長期に漬け込む一般的な「漬物」よりは、西洋のピクルスに近い。大根、きゅうり、蕪、蓮根などさまざまな野菜が用いられるが、必須なのは「唐辛子」である。
 不思議な名前の語源は、ペルシャ語からポルトガル語に取り込まれた「アチャール」とみられる。ポルトガル人はインドをはじめアジア各地に唐辛子を伝え、各地に唐辛子と野菜を漬け込む「アチャール」 が残っている。その終着点がこの「あちゃら漬け」であるのだろう。
 
2 伝来前前史
 「唐辛子」の新大陸からヨーロッパへの伝搬については、当該項目において解説する。(→農作物「唐辛子(トウガラシ)」)
 ポルトガル人は喜望峰周りで東方への交易路を広げていくが、その途上で唐辛子も拡散され、中東~インド~東南アジアの各地で唐辛子を植えていく。現地で気象にも合致した唐辛子は、栽培容易な香辛料として瞬く間にアジアの各地に定着し、広まっていった。
 その途上で広まったのが、ペルシャ語由来の「アチャール」である。
 唐辛子と野菜を和えて漬けたもので、その原料や製法は地域によってさまざまだが、ただ唐辛子を使う点は共通である。唐辛子到達以前から漬物の文化は各地にあったとは考えられるが、唐辛子の伝来によりその製法、文化は一気に塗り替えられてしまう。
 現在でも、「アチャール」は数多の原料、製法により、インドを中心に、パキスタン、マレーシアをはじめとするアジア及び東アフリカなど、広範囲かつ地方により分化しつつ伝わっている。

3 戦国時代
 天文12年(1543)、ポルトガル人は日本の種子島に到着。それ以外のルートからも、日本に多重的に欧州の文化が伝わることになる。アジア各地に唐辛子を伝えていたポルトガル人は、当然この日本にも唐辛子を伝えたはずであり、アジアの各地で定着した「唐辛子と野菜の漬物=アチャール」も同時に伝わったと考えるのが自然であろう。
 戦国時代、特にポルトガル人との文化交流が盛んだった大友家をはじめとする各地に、唐辛子とともに伝わったと考えてよいのではないか。

4 戦国後略史
 唐辛子は日本でも栽培が可能であり、安価な香辛料として、瞬く間に日本各地に広まっていく。唐辛子を使った漬物も日本全国で開発されていた。
 そんな中、九州においては唐辛子を使った甘酢漬けを、唐辛子を伝えたポルトガル人から教わった「アチャール」という名とともに後世に伝えていき、結果として現在も「あちゃら漬け」という名として残っているのではないだろうか。

5 製法
 具材を下拵えし、唐辛子とともに砂糖、酢、出汁を中心とした漬け汁に一晩漬け込む、「野菜の甘酢一夜漬けwith唐辛子」。
 「漬物」と言っても、がっつり漬け込む日本の漬物たちよりも、西洋のピクルスの方が近いイメージか。
 具材は大根、蕪、各種の瓜、ナス、蓮根、人参、ミョウガなど各種野菜の他、凍み蒟蒻やきくらげ、昆布なども見られ多岐にわたるが、その数は奇数という決まりがあるとか。

6 戦国活用メモ
 戦国時代には、豊後を中心に誕生している可能性がある。
 砂糖の入手は難易度が高いが、それと唐辛子の入手さえ可能であれば、九州にとどまらず、どこででも作成できると考えられる。
 「あちゃら漬け」そのものは、現在では九州の一郷土料理であり全国的な影響度は高くないとも言えるが、インドはじめの世界各地に「アチャール」が広まっていることに合わせ、日本においても全国に「唐辛子」を利用した漬物はあまたある。戦国時代において日本ではまだ「伝来され広まりつつある」状態の唐辛子の活用法として、知っておいて損はないのではないか。


参考文献
「トウガラシの歴史」107頁(H.A.アンダーソン、原書房、2017)

内部リンク
・農作物「唐辛子(トウガラシ)

外部リンク
あちゃら漬け 福岡県|うちの郷土料理」(農林水産省HP)
アチャール」(wikipedia)