くま城戦軍研 ―熊代城砦戦国軍事研究所

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資料室

里芋(サトイモ)

芋類(根茎を食用) ・茎も食用
オモダカ目サトイモ科
関連項目:加工食品「芋茎縄」(芋がら縄)

1 概要
 中世以前、日本で「芋」といえば里芋を指した。
 日本に広く根付いた国民的農作物で、作物としては穀物に準じた地位にあった。山で採れる「山芋」に対して、里で育てる「里芋」と呼ばれるようになる。
 世界的にみると熱帯地方で広く主食とされている「タロイモ」の一種。里芋も東南アジア原産だが、タロイモの中では例外的に温帯に適応した種である。

2 戦国前略史
 インド~インドシナ半島が原産か。紀元前30世紀頃にはインドで栽培されていた可能性がある。日本では、縄文時代以前には栽培が開始されていたとみられる。特に南西諸島には早く伝わり、稲より早く水田栽培されていた。
 西洋にも広まったが欧州では食用とされず、主に観葉植物として利用される。ギリシャ・キプロスなど地中海沿岸地域では食用として定着している。
・奈良時代~平安時代
 穀物と並ぶ重要な作物として認識されていた。特に他の食物が育たない山間部等で「焼き畑農業による栽培」が開発され、各地での食料増産に貢献したと考えられる。
 「和名類聚抄」(資料集)には「芋」が「葉は蓮に似て根が食べられる」として記載される他、同項に「芋茎」が和名「以毛加良」(いもから)俗用「芋柄」と書かれており、既に茎も用いられていたと考えられる。
 名称はただ「芋」と言えば里芋を指した。特に区別が必要な場合は山で採れる山芋に対して「家つ芋」などとも呼ばれていたが、いつからか「里芋」に変化したようである。
・鎌倉時代~室町時代
 庶民の間にも広く普及していた。
 調理法としては「焼く」が多くみられる。また、茎の食用「芋がら」(いもじ、とも)も多く見られる。
 戦場においては携行食品(レーション)兼荷造り用縄「芋茎縄」が開発される。→加工食品「芋がら縄」にて別途解説

3 戦国時代
 栽培が容易な主要農作物として戦国日本を支えている。
 調理法が一気に発展した戦国時代において、里芋の調理法もまた「茹でて潰す」「揚げる」など、多岐にわたるようになったと考えられる。
 携行物品兼食品「芋がら縄」は更に発展し、戦国戦場で兵士の荷役と胃袋を支えていた。→加工食品「芋がら縄」にて別途解説

4 戦国後略史
・江戸時代
「サツマイモ」「ジャガイモ」といった新大陸原産で世界を席巻していく芋類が日本に伝来してくるものの、「里芋」もその地位を保ち続けており、江戸時代には多くの地域特産種が成立した。
 奥羽諸藩においては厳冬期を前にした宴である「芋煮会」が成立し、重要な地域文化となっていく。(里芋の子芋は気温が高すぎても低すぎても腐敗するため、厳冬期を前に消費する必要があったのだろうと推定する。)

5 栽培
・栽培方法  
 秋の収穫時に親芋の周囲につく子芋の一部を土中に保存、春に個別に発芽させてから畑に植えていく。秋に親芋ごと収穫し、その周囲につく子芋を収穫し栽培用とする。種によって子芋を食用とするもの、親芋を食用とするもの、両方を食用とするものとある。
 西南諸島では、稲と同様に水田で育てる。水田での育成は食害が激減することや、成育後も水中で保管できるなどメリットが大きく、現代では本州でも採用している農家もいるとか。
 また、かつては山間での焼き畑農業による栽培も盛んであった。
・栽培地域
 北海道以外の日本全国で栽培可能。ただし、種芋を土中に保存する方法は温暖な地域に限る。(7℃以下で腐敗する)
・栽培注意事項
 強い連作障害がある。3年は開ける必要があるとされる。

6 食品特徴
 芋部分以外に茎や葉も食用となる。
 特に茎部分「芋茎(芋がら)」は古くから重用され、茎の食用に適した改良種も存在する。皮をむいた後に灰汁抜きが必要で食用には手間であるが、乾燥して貯蓄できるため保存食となる。(→加工食品「芋がら縄」)加藤清正が熊本城築城時、畳の芯などに利用し籠城に備えたのが著名、近年の日本でも、防災用保存食として研究されている。
・栄養素
 デンプンやたんぱく質を含むものの、芋類では最も低カロリーな部類であり、主食には物足りない。一方で豊富な食物繊維やビタミン、カリウムに代表されるミネラルを豊富に含み、野菜に近い芋、と言われる。
 ぬめり成分はマンナン、ガラクタン等の食物繊維であり、消化補助などに有効である。
・食用注意事項
 芋部にシュウ酸カルシウムの針状結晶を多く含むため、生食ではえぐみが強い。また、素手で触れるだけでかゆみを生じることがある。

7 派生種
・タイモ(田芋)
 南西諸島で育てられる、里芋の一種。東南アジア原産で南西諸島では稲よりも早く伝わり、水田による栽培が確立していたと考えられる。時に稲と並行して植えられる。水田で育てることから台風の害や動物の食害に強く、貯蔵が効くことから沖縄で重用されてきた作物である。煮たものをつぶして餅のようにし、砂糖をまぶして食べたりもする(沖縄の「田楽」)。芋だけでなく芋茎や若い葉も食べられる。

8 文化
 東北地方の芋煮会が有名
 肉の種類や味付けについて語ってしまうと戦争になるのでここでの言及は避けたい。
 凶作などの影響で餅が作れない正月を「餅無し正月」と呼び、里芋で正月を乗り切ったという記述も古くから見られる。

9 戦国活用メモ
 戦国時代には既に日本各地に十分に知れ渡っている食物である。主要な食品の一つとしてお世話になることだろう。
 野菜に近い栄養を多く含む一方で、芋類としてはカロリーが低く主食にはなりえないため、増産は容易であるものの人口増加などにはつながらないか。
 また、芋茎は乾燥させれば長期保存が可能であることから、救荒・災害用保存食として利用価値が高い。レーション兼ロープの「芋がら縄」の他、加藤清正のような緊急用備蓄としての利用法も考えられるだろう。


外部リンク
サトイモ(wikipedia)
北陸農政局・サトイモ

内部リンク
 加工食品「芋がら縄
 資料集「和名類聚抄

サトノダイヤモンド(wikipedia)