概要
縄文時代の遺跡跡とアイヌ文化のチャシ跡が同じ場所にあり、かつ連続性が不明なために二つの時代の史跡標柱が並び立つ珍しい史跡。
江別は続縄文時代の文化的中心地とみられ古墳が残るなど古くから栄えた土地であり、アイヌの時代にも栄えていたと考えられる。
(江別地域の戦国時代を中心にした状況は地域情勢「江別(対雁)」にて)
(登城日:2020/9/19 それ以降に状況は変わっている可能性があります。)
Ⅰ 所在地等
北海道江別市
江別市指定史跡 (江別チャシ及び旧豊平川河畔遺跡として)
Ⅱ 種別・利用法
丘先式チャシ。居住地や祭祀場としての利用か
ⅢⅣ 築城時期、築城者
不明
Ⅵ 遺構
濠
Ⅶ 公共交通機関アクセス
バス停「元江別」から1km弱くらい。
JR高砂駅から約3.2km、江別駅から約3.5km
1 来歴
古伝承などもなく、来歴は不明。
2 構造
旧豊平川(現在の世田豊平川)に面している。
地形図を見ると、丘の先端部を壕で切った丘先式か。平坦な郭部分の周囲を壕が囲むような構造。「日本城郭大系」によると、「東西には沢が入っていて、この沢を利用する形で一城の壕が弧状にめぐらされている。この壕はほとんど埋まっているが、チャシとしての原形をよくとどめている」(参考※1)。
往時は沢を利用した、もっと深い堀であった可能性もある。
3 状況
史跡標柱から奥に進むとチャシ跡。
坂を上って平坦な郭のようなところに出ると、周囲に壕がめぐらされている構造が見てとれる。
4 その他
入口の標柱が示す通り、この地は続縄文時代の「豊平川河畔遺跡」でもあり、縄文人も住居していたとみられる。
続縄文時代において恵山系などと異なる文化の中心であったと考えられ、「江別式土器」と定義されたその文化は、北海道全域や東北地方にも広まっていた。
周囲の状況
上でも触れましたが、江別の町中にある「江別市郷土資料館」には、江別チャシについての展示もあり。
メインは続縄文時代の「江別式土器」ですが、その他にも江別の町の歴史がよくわかる展示がされています。明治時代に港町として栄えた江別の様子や、大戦時に江別で作られた木造戦闘機に関する資料などもあり。
戦国時代の同地域の状況は地域情勢「江別(対雁)」にて。
個人的回想
2020年に訪れた際には、Google mapが違うところを差しており苦労したのだが、現在は直されているようです。感謝。
参考文献
(※1)「日本城郭大系1」137頁 (昭和55年 新人物往来社)
外部リンク
・江別市郷土資料館