くま城戦軍研 ―熊代城砦戦国軍事研究所

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シコツ越え

 「ユウフツ(勇払)越え」とも。近世以前の北海道で、西蝦夷地と東蝦夷地の往来に使われたルート。千歳川、美々川及び勇払川が主。

関連項目:地域情勢「江別(対雁)」

1 概要
 広義には、陸路が開発されていなかった時代に西蝦夷地(日本海側)と東蝦夷地(太平洋側)を行き来するルートであった、太平洋側の勇払から千歳、江別、石狩川経由で日本海まで至るルートのこと。狭義にはそのルートのうち特に、船で進めない美々から千歳までの陸路のことを指す。

ルート1 石狩川~江別~千歳川
ルート2 千歳川~千歳~シコツ越え
ルート3 シコツ越え~美々川~ウトナイ湖~勇払川~勇払

 江戸時代後期の記録では4日間ほどの日程であった模様。
 千歳川については、かつては「シコツ川」と呼ばれ、カマカ(釜加)より先では「イベツ川(=江別川)と呼ばれ、江別太(エベツプト)にて石狩川に合流していた。シコツ→千歳の改名は後述。
 当時の航海技術では神威岬(積丹半島)を越えるのは冒険であり、西蝦夷地に向かうのに利用されていた。
(女性を乗せた船で神威岬を越えるのはご法度であった、という資料もある)
 明治時代に「札幌本道」が開発されるまでの間、東西蝦夷地間のルートとして用いられた。札幌本道の詳細は本項の主旨から外れるので畳みます。

札幌本道

 明治5年~6年(1872~1873)に築かれた馬車用の道路。
 札幌を北海道の中心とするためには函館との交通路が必要とされ築かれた。日本初の馬車用長距離都市間道路で、広い道幅で砂利舗装がなされた。日本初の幹線道路ともいえる。

【ルート】
 札幌・豊平橋~千歳~苫畑(苫小牧)~室蘭~(海路)~
 ~森~函館
 札幌~苫畑は現・国道36号線、森~函館は現・国道5号線

 巨費が投じられたこの計画だが、馬車があまり普及していなかったこともあり、建設当時は期待ほどに活用されず、責任を問う声も上がったらしい。札幌への流通は依然として小樽~石狩川~江別~豊平川経由が主流で、幌内鉄道が開通(明治13年:手宮~札幌間、明治15年6月:札幌~江別、同年11月:江別~幌内)すると、さらに小樽や江別を中心とした水運・鉄路のコンビネーションが道央の流通の中心となっていく。
 しかし札幌本道の功績が小さかったかというとそんなことはない。
 森~室蘭の航路は、鉄路が発展したのちも使われ、森と室蘭は交通の要衝として発展した。札幌本道と海の接点であった苫畑、現在の苫小牧は港町として発展、現在では小樽港をしのぐ地位を得ている。
 なお、この道路のあおりを受けた形になったのが勇払。交通の起点として江戸時代から重視され、地域の中心であった勇払だが、後に中心は港湾の建設に向いた室蘭や苫小牧に移っていくことになる。

 

2 歴史
 いつ頃から用いられていたかは不明であるが、江戸時代より前からアイヌによって用いられていた可能性はある。
 正保元年(1644)「正保御国絵図」に収録されている、松前藩が幕府に報告したとみられる図には、すでに石狩から勇払へ道のような線が引かれており、この頃にはすでに横断路として認識されていたのではないか。
 寛政4年(1792)、ロシア帝国外交官、ラスクマンが函館に来訪した件をきっかけに幕府は東蝦夷地を直轄化し、幕臣により実地を検分させる「巡検」を本格化させた。そのためこの頃から、蝦夷地に関する記録が多くなる。巡検の際にはこのシコツ越えが多く利用された。有名なのは遠山景晋(遠山金四郎景元の父)で、巡検の詳細な記録を残している。
 文化2年(1805)、函館奉行羽太正義は、「シコツ」の地名に「支骨」「志骨」など縁起が悪い文字が当てられていることを嫌い、「千歳」に改名した。現地に鶴が多く生息することから、「鶴は千年」に因んで改名したという。
 文化年間、勇払場所の請負人・山田屋文衛門は、美々~千歳間の2里に馬車を通すことができる道を整備した。また、千歳~漁太間の6里もこの時期に整備され、千歳川が急流となる地域を回避できることから船便と並行して用いられたようである。

 安政4年(1857)、箱館奉行は銭函から千歳に向かう「札幌越新道」を整備。豊平川渡し守として志村鐵一が居住し、東西蝦夷地の唯一の往来路としては役目を終える。明治期になり札幌本道が苫小牧まで至るようになると、メインの交通路としてはそちらの方が優勢になっていく。
 しかし、千歳川流域(支流の漁川などを含む)の産物など、重量物の移動には便利であったため、川港として栄える江別を中心に、水運はにぎわいを保った。


外部リンク
・北海道開発部 札幌開発建設部「開拓初期 千歳川流域 交通2
・苫小牧市 「ユウフツ越え 美々船着場跡

内部リンク
・地域情勢「江別(対雁)」
・城メモ「江別チャシ