関連項目:農作物「ソバ(蕎麦)」
加工品「蕎麦(そばきり)」
加工品「そばがき」
本項では、粉末化して用いられることが多い穀物「ソバ」(基礎資料)のうち、粉末とせず穀物として粒のまま用いる例について記述する。
農作物としての概論は当該基礎資料にて。
本項では穀物を「ソバ」、それを原料とした麺(そば切り)を「蕎麦」、それ以外の用法を「そば」と記載する。
1 概要
雑穀「ソバ」は殻が硬く中身が柔らかい特徴から粉食されることが多かったが、殻を剥いた状態の実をそのまま粒で、または挽割りとして米などのように食する文化もまた古くから根付いている。
粉食については「蕎麦(そばきり)」「そばがき」にて解説する。
特に米や麦が収穫しずらい山間部や、冷涼な地域では現代でも食され、米など他の穀物と混ぜて炊いたり、煮込んで粥などのように食べる。日本では徳島県西部等の山間部、世界的には東欧などで郷土料理となっている。
2 戦国前略史
・日本の古代
日本において穀物の粉末化が一般化するのは鎌倉時代以降のこと。
古代から栽培されており、少なくとも奈良時代には救荒作物として存在感を持っていたソバだが、その頃には「そばむぎ」などと呼ばれており、粒食が基本だったと考えらえれる。
・鎌倉時代~
石臼の技術が一般化し、穀物の粉末化が一般化する。
粒として食べる食べ方も引き続き各地でみられているものの、ソバは粉化に適した作物であるために粉としての食べ方が一気に広まった。
「そばがき」(基礎資料)も早くに開発されていたと考えられる。
・戦国時代
長野県の一部では、粉を麺とするそばきり、麺の「蕎麦」が誕生している。
多くの地域では「そばがき」「そば餅」が一般的な食法だったと考えられるが、手間の少ない粒食も途絶えたわけではないだろう。
特に江戸時代の状況から、甲信などの山中では、米や麦に混ぜて穀物として食べるのが広まっていると考えられる。
・西洋の状況
14世紀にはドイツやチェコの料理本にその姿が見えることから、ソバは中世には西欧に到達していたとみられる。原産地がアジアであることを考えると、ロシアやウクライナなどにはより早く到達していたことだろう。
ロシアでは特に発展し、挽割にしたソバ(カーシャ)の粥は現代に至るまで主要な食事の一つとなっている。
3 戦国後略史
・江戸時代
江戸時代、特に江戸では麺の「蕎麦」が大流行・定着し、「そば」という単語自体が麺の「蕎麦」を指すようになる。一方、農村などでは「蕎麦」は特別な時にしか食さない村も多かった。引き続き農村では麺にはしない粉食(「そばがき」など)、粒食が中心であったと考えられる。
・現代
日本では「そば」と言えば麺の「蕎麦」を指すほど麺、ひいては粉食が一般的である。しかし現代でも徳島県では「粒食」文化が多くみられ、スーパーでも粒のまま売られていることも。
特に西部の祖谷地方は米や麦の栽培に向かなかったため、古くからソバの文化が根付く。ソバを粒のまま肉や野菜と煮込む「そば米雑炊」、「そば米汁」は郷土料理となっている。
参考:「そば米雑炊/そば米汁|うちの郷土料理」(農林水産省HP)
4 調理法
ソバは殻が硬い上に中身がもろく、殻が剝きづらい。そのため茹でた後に殻をはずすのが一般的である。
・雑穀としての利用
雑穀として他の食べ物と混ぜて炊く食べ方は全国で古来からみられた。特に米の収穫が十分ではない信州などの山間地では、江戸時代でも米に混ぜて炊くのが一般的にみられた。
・そば米汁、そば米雑炊
ソバの実を汁に入れ煮込む食べ方も全国で古くからみられる。
・むきそば
元は江戸時代に関西の寺院の精進料理として食べられていたものと考えられ、現代では山形県酒田で定着している。茹でて冷やしたソバの実に、冷やしただし汁を食べてすする料理。酷暑期の風物詩となっている。
5 戦国活用メモ
前述のとおり、ソバは戦国時代には粉食、特に「そばがき」が主な利用法と考えられる。しかし、粉末化の手間を惜しんだり、または米が十分取れないために粒としての穀物として食べたい地方では、粒のまま食べていることだろう。
味は麦などに劣るとされるそば米だが、醤油を開発すれば現代の「そば米雑炊」のようにおいしく食べられるだろう。
参考文献
「そばうどん知恵袋111題」34-35頁(編・そばうどん編集部、柴田書店、2018)
外部リンク
「そば米雑炊/そば米汁|うちの郷土料理」(農林水産省HP)