くま城戦軍研 ―熊代城砦戦国軍事研究所

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ソバ(蕎麦)

関連項目:加工品「蕎麦(そばきり)
     加工品「そば米
     加工品「そばがき

 本項では農作物、雑穀としての「ソバ」を中心に概論的に記述する。
(現代日本人が「そば」と言われて思いつく麺は別項「蕎麦」にて)
 実を食用、葉茎も可食。実の殻はそば殻として利用。
 ナデシコ目タデ科ソバ属

ソバの花(wikipediaから引用。wikipedia commonsのポリシーに基づき引用しています)

 本項では穀物を「ソバ」、それを原料とした麺(そば切り)を「蕎麦」、それ以外の用法を「そば」と記載する。

1 概要
 寒冷、乾燥に極めて強く、生育時間が短いうえに栽培中の農作業も少ないなどの特徴を持つ有用な雑穀。世界各地、特に寒冷・乾燥地域で広まった。
 日本でも古来から育てられ、奈良時代には救荒植物として認識されると、山間部や東北地方などに発展していき、「そば米」、「そばがき」などで食されている。寒冷地や山岳部の食料増産を進める際には最適解の一つとなるだろう。

2 戦国前略史
・縄文時代、弥生時代
 中国南部原産とみられている。
 縄文時代の遺跡からソバの花粉が出土することから、縄文時代にはすでに日本に伝来しており、すでに栽培されていた可能性がある。島根県や高知県では一万年ほど前から、北海道道南でも五千年前ほど前から存在していた。
・奈良時代~平安時代
 養老6年(722)、元正天皇は夏に雨が少なったことを受け「全国の国司に命じ、百姓に晩稲、蕎麦及び大小麦を植えさせ、その収穫を蔵に置き蓄え、荒年に備える」旨の詔を出したことが「続日本記」に残る(参考※1)のが日本史での「そば」の初出である。既に干害に強い穀物として認識されていることがわかる。
 延喜年間成立の日本最古の本草図鑑「本草和名」(wiki)では「曽波牟岐(そばむぎ)」と記載(参考※2)されており、麦の一種として扱われている。名の通り初期は粒食が中心で、「そば米」や「そば粥」などとして食されていた。
・鎌倉時代~室町時代
 鎌倉時代には石臼による穀物の粉末化の技術が一般化した。
 ソバも粉末化され、「そば餅(団子)」「そばがき」といった食べ方が現れてくる。また、作物としても存在感を増しており、年貢としてソバを納める例も現れてくるものの、鎌倉時代の公家には「食べ物とも呼べないような代物」として認識されていた逸話も残る。
 なお、「和名類聚抄」(資料集)巻16巻「飲食部飯餅類」には素麺の原形とみられる「索餅」が記載され、室町時代前期にはうどんを示すとみられる「切麺」「冷切麺」が既に定着している(参考※3)。蕎麦は小麦の麺よりも難易度が高いものの、後述のとおり戦国時代には存在が認められることから、室町時代くらいには既に「蕎麦」を作ってみた者も存在するのだろう。

・外国の状況
 中国では「斉民要術」の雑説(注釈※1)に記載されており、時期は不明だが古くから栽培されていたとみられる。現在でも中国や朝鮮、ネパール、ブータン等のアジア寒冷地・山岳地で栽培されており、麵として食する。また、育てられる農作物の少ないネパールなどでは葉茎を野菜としても食している。
 西洋においても、寒冷に強いことから各地に広まった。
 特にロシアや東欧では主食級となった。これら地域では現代でも粒食し粥(カーシャ)にして食べる(貧しい食物の代名詞でもあるが)。一方、西欧では粉食が発展。フランスのブルゴーニュ地方ではガレットやクレープ、イタリア北部ではビッツォケリ(パスタの一種)などを生んでいる。

3 戦国時代
 天正2年(1574)年、信州木曽の定勝寺(wiki)修復工事の竣工祝いにおいて「振舞そはきり」という記載があり、そば切り(麺としての蕎麦)(基礎資料)の初出資料と考えられている。詳細は別項を作成して記す。
 引き続き、山間部や寒冷地での食料として生産されており、そば飯やそばがきとして食されていると思われる。

4 戦国後略史
・江戸時代
 「そば切り」は大発展を遂げる。
 江戸初期には蒸して食べるせいろ蕎麦が登場。
 小麦粉を混ぜる技術が渡来したことによってさらに進化。切れづらくなったことから茹でて食するようになり、江戸のソウルフードとして大発展を遂げる。「そば」という単語も作物としてのソバではなく、麺の「蕎麦」を指すものに変化していく。
 一方で農村や地方では引き続き、「そばがき」もよく食していた。特に農村ではそば切りは祝宴などで出される食事であり、一部の農村では「蕎麦」はぜいたく品として禁止されていたともみられる。普段の食品としては「そばがき」が一般的であった。
 収穫時には手間がかかるものの、雑草の処置など日常の農作業をほぼしなくてよく、乾燥にも強いソバは農作業に日参しなくてよい「捨てづくり」が可能であり、山間部のみならず人口密度の低い台地部などにも広まっていった。
 江戸末期には北海道でも栽培が始まる。享和2年(1802)年、勇払に入植した八王子千人同心がソバを栽培し収穫を得たという報告を残している。また、幕末には厚沢部や蕨岱などでソバが栽培されていた記載が見られる。
・明治時代以降
 経済発展に伴い麺の「蕎麦」はさらに一般化していき、「そば」と言えば麺の「蕎麦」を指す傾向はさらに強まる。
 また、寒冷な北海道での栽培に適した作物としては初期から注目されており、開拓使は積極的にソバの植え付けを推奨している。
・昭和期
 昭和40年代(1970頃)には米が取れすぎ、減反政策が始まる。これにより米からソバに植え替える農家が多くあった。
 2000年頃には健康ブームの中でルチンを多く含むソバの亜種「韃靼そば(ダッタンソバ)」が脚光を浴び、それに牽引されソバもまた見直された。

5 栽培条件
 寒冷に強い。逆に温暖には弱いともいえ、温暖な気候化では実に栄養が行かず収穫量が落ちる。
 乾燥に強い。逆に湿潤には弱く、栽培の際には排水の暗渠を築いたり、傾斜地に植えたりの工夫が必要。
 また酸性にも強い。このように土壌を選ばないことから、古来から畑を開墾した時、焼き畑で森を切り拓いた時に最初に植える作物として最適とされてきた。
 周囲に他の植物が育ちづらくなる「アレロパシー作用」を持ち、雑草が生えづらい。普段の農作業で最も過酷な雑草取りが非常に少ないという利点があるが、この作用はソバそのものにも効き、連作障害の原因ともなる。
 植えてから収穫できるまでの日数が少ないのも特徴。本州では二毛作が可能で、春に植え夏に収穫した後に夏に植え秋に収穫できる。さらに温暖な九州では3月に植え夏前に収穫することもできる。
 また、穀物とされる植物の中では珍しくイネ科ではない。
 イネ科は一斉に花が咲き一斉に収穫できる特徴があるがソバにはそれがなく、改良されていない在来種では一本のソバの中ですら穂によって収穫期が異なるという特徴がある。しかも脱粒しやすいため収穫時期は難しい作物となっている。自家受粉出来ず、虫などにより花粉を媒介してもらわなくては結実しないのも、作物として不利である。

6 食品特徴
 実を穀物として利用。殻を取り除き利用する。殻の硬さに比較して内部は砕けやすく、中世以降は粉末化しての利用が一般的。
 ビタミンB1を豊富に含んでいる。江戸時代に精米が流行したことにより発生したビタミン不足が原因の病「江戸患い(=脚気)」の改善に効果があり、蕎麦が江戸時代に江戸のソウルフードとして進展する一因となった。
 特徴的栄養素は「ルチン」で、血管の強化や血圧抑制の効果がある。
 また、葉や茎も柔らかく、古くから飢饉の際に食されていた。現代でもスプラウトを「そばもやし」として食用する他、間引いた芽や若い茎葉、未熟な実も食べることができる。

7 派生種
・ダッタンソバ(韃靼そば)
 ソバとよく似た利用をするがソバとは別種。「にがそば」とも。
 韃靼、つまりタタール人の名前を冠するとおり、モンゴルやチベットなどで植えられている。自家受粉でき虫の存在が必要ない。また、ソバ以上に寒冷に強く、ソバ以上に過酷な土地でも栽培可能である。
 栄養素として健康に良いというルチンをソバよりも50~100倍含んでおり、日本でも2000年代頃に大ブームを起こし、韃靼そば茶なども流通した。
 なお、ルチンを分解する酵素も持っており、加水分解により苦みを持つクェルセチンという成分に変えてしまう。健康成分ルチンが失われるため分解させない方向に研究が進んできたが、最近はクェルセチンの健康効果(抗酸化など)の方が注目されているとか。

8 文化
・そば殻
 ソバの実を収穫し、実を取り出したもの。実だけで蕎麦を打つと白い蕎麦となるが、殻を混ぜて黒い蕎麦として風味を楽しむこともある。
 使わなかった殻は乾燥させ、飼料や緑肥に使用する他、枕やお手玉などの詰め物として利用することもある。
・ハチミツ
 花を多くつけることと、虫による受粉媒介が必要なことから、古くから洋の東西を問わず養蜂の際の蜜源として利用されてきた。鉄分の多い蜂蜜が得られる。
・アレルギー
 一部の人にアレルギーを引き起こすことで知られる。頻度は少ないが、症状は重篤であることが多い。一方で、小麦アレルギーを持つ人に対する食事(グルテンフリー)としても重用されている。

9 戦国活用メモ
 同じ名称を現代日本人が聞いた時と、戦国時代の人たちが聞いた時に違う連想をする食べ物ランキングで上位に入ると思われる。戦国時代には粉食の穀物として、そばがき等として多く食べられているはずである。
 醤油などの調味料も発展していない中、おいしい蕎麦をつるつるっといただくためには現代知識を総動員する必要があるだろう。
 一方、寒冷地や山岳地での食料増産における利用価値の高さは現代人ならば誰もが知る通り。救荒作物として奈良時代から重視されていた実績を持ち、米や麦が作れない山間地や、農作が困難な北海道以北などへの進出には欠かせない作物となるだろう。


参考文献
(※1)「そば学大全」60頁(俣野敏子、平凡社、2002)
(※2)「そばうどん知恵袋111題」12頁(編・そばうどん編集部、柴田書店、2018)
(※3)「そばうどん知恵袋111題」174-177頁

内部リンク
・加工品「蕎麦(そばきり)
 加工品「そば米
 加工品「そばがき
 資料集「和名類聚抄

注釈

(※1)「斉民要術」に書かれているのに時期不明とは?

斉民要術」(wiki)は、北魏の賈思勰(wiki)が、6世紀中期に書いた農業専門書。世界最古の農業書ともされる。
 本文の成立時期は大体わかっているのだが、前書きの「雑説」は文体などから後世に付け足された解説である可能性が高いとされており、「ソバ」についてはこの雑説にしか出てきていない。逆に言うと本書が成立した540年頃にはまだ一般ではなく、その後一般化し、書き足された可能性が高いとみられる。