くま城戦軍研 ―熊代城砦戦国軍事研究所

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蕎麦(そばきり)

関連項目:農作物「ソバ(蕎麦)
     加工品「そば米
     加工品「そばがき

 本項目では、穀物のソバを粉末化して作る麺である「蕎麦」(そばきり)について説明する。

 本項では穀物を「ソバ」、それを原料とした麺(そば切り)を「蕎麦」、それ以外の用法を「そば」と記載する。

出典:農林水産省webサイト「そば 東京都|うちの郷土料理

1 概要
 現代日本人が「そば」と聞いて真っ先に思い浮かべる麺の「蕎麦」。日本の国民的麺類の一つであるが、歴史に登場するのは戦国時代、普及するのは江戸時代以降。江戸で芽生えた外食文化に乗り、江戸のソウルフードとして寿司と並び立つ存在となり、特に東日本では最もポピュラーな麺となっている。
 そば粉のみ(十割そば)の作成は困難で切れやすく、初期は蒸して食べていた。小麦を混ぜる技法が開発されてからは、現代のようなつるつるっと食べる茹でた蕎麦が一般的となり、混ぜ物も様々な様式が生まれる。
 また、温冷やトッピングなど日本中で様々な郷土の蕎麦を生んでいる。

2 戦国時代
 全国的には「そばがき」などの食べ方が一般的であったが、一部では麺が生まれている可能性がある。
 天正2年(1574)、信州木曽の定勝寺(wiki)修復工事の竣工祝いにおいて「振舞そはきり」という記載があり、これが現在のところ、麺としての蕎麦の歴史上初出となる。
 なお、平安時代の「和名類聚抄」(資料集)巻16巻「飲食部飯餅類」には素麺の原形とみられる「索餅」が既に記載され、室町時代には捏ねた小麦の塊を切る、つまり「うどん」と同意である「切麺」「冷切麺」が定着している。定勝寺の記録以前に既に「蕎麦」を作って食べてみた者も存在するのだろう。
 また、大坂砂場の蕎麦屋「津国屋」は天正12年(1584)の創業という記録もあり、事実であれば最古の蕎麦屋となる。

3 戦国後略史
・江戸時代
 江戸時代には麺の「蕎麦」が一般化する。
 初期には寺院での記録が散見され、寛文20年(1643)の料理書には蕎麦の製法(そば粉のみの「生粉打ち」)が記載されている。
 蕎麦屋は江戸初期には成立し、江戸の屋台文化と相まって発展していた。少なくとも貞享3年(1686)からは、夜食の蕎麦を売る屋台「夜鷹蕎麦」が成立していたことが読み取れる。
 初期の蕎麦はそば粉のみの「生粉打ち」であったため切れやすかった。そのためか、初期は蒸して提供するのが一般的であった。革命が起きるのは1700年前後、小麦粉を混ぜる方法が発展したことによる(朝鮮から伝わったという)。この後、蕎麦は切れづらくなり、茹でて食べる方法が定着していった。この頃の蕎麦は、すでに現代の蕎麦と大きく変わらないと考えられる。
 「そばつゆ」も江戸時代中に変化する。醤油がまだ一般的ではなかった前期は、「垂れ味噌」「煮貫」などがみられる。垂れ味噌は味噌を解き布で濾したもの(布袋に入れて吊って垂れるものを使った)で、煮貫はさらにそれを鰹節などを入れて煮込み、ダシを取ったものである。江戸中期に醤油が一般的になっていくと、徐々に醤油をベースにしてダシ(鰹節が珍重された)や味醂などで味を付ける現代に近いそばつゆが主流になっていく。
 付け合わせは、江戸初期の料理本で「花カツオ、おろし、アサツキ、からし、ワサビ(基礎資料)」などが挙げられており、既に現代でも用いられるような薬味が利用されている。その後は各地・各店でトッピングに工夫をこらした様々な蕎麦が生まれていく。
 蕎麦はこのように外食文化が定着した江戸において、寿司と並ぶソウルフード、気軽な外食のトップとしての地位を確立していった。
・明治以降
 明治以降においても東日本を中心に伝統的な麺の代表格である。
 昭和以降は国内での生産が追い付かず、世界からソバを輸入するほどになっている。

4 調理法
 ソバの殻を取り実を挽いて粉末化、水などと合わせ捏ねた塊を細く切り、麺として茹でて食する。
 と一般化するとこうなるが、この一行からも多くの派生が生まれる。
 実のみを粉末化する白い蕎麦から、殻を敢えて混ぜ込む黒い蕎麦。
 そば粉のみでは切れやすくなるため、様々なものをつなぎとして使うがこれも代表的な小麦(二八蕎麦)の他、長芋(御厨蕎麦)、大豆(津軽蕎麦)、フノリ(へぎそば)など多岐にわたる。
 食べ方も冷やしてつゆに付けて食べる「もりそば」系と暖かい汁に入れて食べる「かけそば」系、それらにさらに様々な具をのせて食べたりとそのバリエーションは豊富すぎて列挙することすら不可能と言える。

5 戦国活用メモ
 現代日本人に「そば」と言えば麺の蕎麦。
 ソバを大量に生産している戦国時代に行けば「蕎麦」を食べたくもなるだろう。戦国時代には醤油が無く、「出汁」もまだ一般的ではないが、しかしそれらの原料はすでにあり活用するのは難しくない。
 小麦粉を混ぜるという知識も知ってさえいれば製麺は難しくなく、日本の「麺」文化を一気に進展させることも可能だろう。


参考文献
「そばうどん知恵袋111題」(編・そばうどん編集部、柴田書店、2018)

内部リンク
 農作物「ソバ(蕎麦)
 加工品「そば米
 加工品「そばがき
 農作物「ワサビ
 資料集「和名類聚抄